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心に移りゆくよしなしごとを、教育、音声言語、認知科学、環境倫理などの視点から、そこはかとなく書いています
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自然と人工  5.語尾以外でも
母音の無声化が起こりやすいのは実は語尾に限らない。「k」「s」「t」「ch」などの無声子音にはさまれた「i」や「u」もそうだ。たとえば、「ちから」の「chi」の「i」がいい例。しゃべってみるとわかるが、ほとんど「chkara」になっているのがわかると思う。無理に「i」を入れて「chikara」としゃべってみてほしい。力が入らないのではないだろうか。つまり、母音を無声化させた方がシャープできれいに聞こえるのだ。「ちしき」はもっと極端である。無声子音にはさまれた「i」は無声化しやすいので、「chshk」のようにも聞こえる。無声化した音節が2つ続くと1つしか無声化しないとされるが実際には無声化が続く。さらに正確にいえば、chの音節にはアクセントがあるのでiは完全には消えないことが多い。   (2021.4.2  続く)

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自然と人工  6.母音無声化の地域性
共通語では無声化が起こりやすいという話をしてきた。では、共通語以外ではどうなのか。たとえば、関西の人は「desu」「masu」と発声する人が多い。このように、無理やり語尾に母音を入れて発声すると関西風に聞こえることがある。共通語をしゃべっているように聞こえていても語尾が無声化していない場合、関西出身者の場合が多い。テレビなどでいろいろな人の語尾に注目(耳?)してみるとおもしろい。もちろん、他にも地域によって無声化しないケースも多く見られる。NHKのアナウンサーは、共通語を話すようにトレーニングしているので、ほとんどの人がきれいな無声化で話している。しかしながら、このようなトレーニングを受けていないレポーターの中には、共通語をしゃべっているにもかかわらず、「です」「ます」が無声化していないだけでなく、「でしイウ」のような、非常に聞き心地のよくない母音で終わる人もいる。   (2021.4.9  続く)

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自然と人工  7.自然言語と人工言語
無声子音の直後の「i」や「u」、無声子音にはさまれた「i」や「u」は無声化しやすいと話を続けてきた。ここで、「しやすい」とか「傾向にある」という表現に違和感を持った人もいるのではないだろうか。なぜ「無声化する」と書けないのか。それは我々の話している言葉は「自然言語」だからである。自然言語は人々の間で自然発生的に生まれたもので、いってみれば、最初に言語ありきであって、その後に文法などが整理されてきた。そのため、共通語において定められたルールではなく、関東周辺での言葉がたまたま無声化していたというだけに過ぎない。よって、あくまでも「しやすい」あるいは「傾向にある」としかいえないのである。自然発生的に生まれた自然言語は、いってみれば、人間同士の接点の人工物である。この自然言語に対して、最初に文法ありきというものが「人工言語」だ。いい例はプログラミング言語である。文法に則っていない文字列は理解されない。そういえば、数十年前に世界の標準語になるかと注目されたエスペラント語も人工言語である。人工言語は、人間と人工の接点でもあり、人間と人間の冗長ない接点でもある。エスペラント語はその後どうなっただろうか。   (2021.4.16  続く)

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自然と人工  8.AI
AI(人工知能)が大きく進展し、我々の日常生活にも入り込んできている。AIが人間を超えるのはいつ頃ですかという質問をよく受けるが、意味がわからない。新聞記事でAI専門家と称する人が、AIは将来意識や感情を持つだろうと言っているのを見かけるが、これも意味がわからない。シンギュラリティという言葉を使って、AIが人間を超える知能をもつ特異点が数十年後にくると言う人がいるが、本気で言っているのだろうか? AIの原理を理解している人はこんなことは言わないと思うがどうだろうか?AIと人間は全く別のものである。確かに、計算速度や判定速度、記憶容量など人間の情報処理機能のいくつかは、明らかにAIが勝っている。ただそれだけのことである。現時点のAIは人間の脳内のニューロン結合をコンピュータ上に模擬実現したもので、再現性のある事象に関して予測したり判定するなど、人間のもつ情報処理機能の一部を代行をしてくれる。しかし、人間は単なる処理装置ではない。脳の奥深いところにある大脳辺縁系付近から発せられる欲求、情動。これらは人間を人間たらしめる重要な特性であり、ここに意識や欲求、情動が発信される。自分が我であることがわかる、自分が今やっていることがわかる、自分がどんな状況にあるのかがわかる、痛い思いや悲しい思いはしたくないと思う、人が喜んでくれるとやりがいを感じる、こういったことが意識といえそうだが、要するに意識とは何か、さらに、こういった意識や欲求、感情はどういう物質がどのように作用して生まれるのか、これはいまだに明らかになっていない。AIがあたかも意識を持っているかのように見せることはできる。しかし、これはあくまでも人間がそう見せかけているだけで、AIが自分が我であることがわかるわけでもないし、感情や意見を持つわけでもない。我々がもつ意識とは根本的に違うのである。感情についても、ある映像や音楽を入力し、その際に人間が抱く感情、楽しいとか悲しいなどをAIに機械学習させることはできる。しかしながら、それは入力されたものに対して感情を判定させるだけであって、AIが何か楽しいことをしたいとか悲しいことが嫌だと思うわけでは全くない。AIは自然言語すら理解できていない。特に、複雑な文や省略の多い文はまるでわからない。将来、AIが人間を攻撃することはないのかと質問する人もいる。これは、あるとしたら、人間がプログラムによってAIに人間を襲わせるようにしているだけのことである。会社の人材採用で、AIを用いてスクリーニングを行うところが出てきている。過去の履歴や成績から会社で活躍しそうな人材を選ぶというわけである。これについて、AIが人を選ぶ時代になったと言う人がある。そうではない。人間がただAIを使って人材を選んでいるにすぎない。AIは自ら何かをしようとはしない。AIの行動はすべて人間の意識に帰着する。   (2021.4.23  続く)

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自然と人工  9.自然と人工
自然と人工についていろいろ書いてきたが、例えば、田畑、動物園、植物園、水族館、日本庭園は自然を人間に近づけるための人工。植林や海底の改良は人間を含む自然を守るための人工、自然言語は人間同士の接点として働く人工。人工言語は、人間と人間、そして人間と人工の接点。現在のAIは人間の情報処理機能の代行と考えられる。我々は、今から数百万年前に猿類と分かれるまでの類人猿の時代から、自然あるいは別の類人猿と接するにあたって、道具を使っていた。それは,気温変動から身を保護するための枯れ草を束ねたものだったり、雨をしのぐ巨大な葉で作った屋根だったり、木の実をとったり割ったりする石オノだったり、また、仲間に何か伝えるために叩いて音を出す木製太鼓だったかもしれない。この人間と外界との接点である「道具」こそが人工なのだ。全体的、俯瞰的にいえば、自然体人工という図式ではなく、人間と自然の接点が人工ということができよう。ところで、大石君がその後、どういう人生を歩んだのかはわからない。
           (2021.4.30  「自然と人工」終わり)

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元研究者、元大学教員
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