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心に移りゆくよしなしごとを、教育、音声言語、認知科学、環境倫理などの視点から、そこはかとなく書いています
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子供の質問にはすぐ答えてはいけない  6.子供の質問にはすぐ答えてはいけない
子供が幼稚園年少くらいになると盛んに質問をし出す。知り合いの一人は、連日朝5時になると、夜早く寝た子供が起きて「お父さん、どうして○○は□□なの?」と聞くようになってまいったと言っていた。子供に質問されたとき、ある年齢まではある程度答えを教える必要はあるのだが、それは、検索と何ら変わらないことに気づく必要がある。大事なことは子供に考えさせること。そのためには、子供に質問されたらすぐに答えず、逆質問をすることだ。
子「どうして、セミは夜鳴かないの?」
親「どうしてだと思う?」
子「夜は暗いから。」
親「すごいね。なぜ暗いと鳴かないのかなあ?」
子「静かに寝たいから。」
親「なるほど。そうかもしれないね。」
子「仲間に声をかけても暗くて遊びに来られないから。」
親「そうかもしれないね。鋭い!」
子「夜は暑くないから。」
親「なぜ寒いと鳴かないのかなあ?」
子「口が動かないから声が出ない。」
親「さすがだね。でも、あれは声じゃないらしいよ。音みたいだよ。」
子「え、声じゃないの。」
親「音みたいだよ。」
子「どこから出しているの。」
親「どこだと思う?」
子「足?」
親「足であんな大きな音が出るかなあ?やってみたら?」
子「出ないね。頭から?」
親「頭であんな大きな音が出るかなあ?やってみたら?」
子「出ない。口でも足でも頭でもないともうないよ。」
親「残るはどこなかあ?」
子「もうない。」
親「いや、あるでしょ?セミって飛べること知ってる?」
子「もしかして羽?でも音が出ないよ。」
親「ピンポン!じゃあ、うちわとうちわをこすってごらん。
子「音が出るね。」
親「貝殻と貝殻でやってごらん?」
    :
こんな風に、正解が出るかどうかはさておき、なぜの問答を繰り返すことによって、子供の思考力はかなり高まる。特に因果関係に基づく思考の訓練だ。これは、ソクラテスが盛んに行った問答法に他ならない。ところどころで褒めることも忘れてはいけない。 (2021.8.11  続く)

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子供の質問にはすぐ答えてはいけない  7.高齢者にも簡単に手を貸さない方がいい時もある
頭を使うことを怠ると脳内のニューロンの結合は広がらず強度も高くならない。同様に、体を使うことを怠ると筋繊維が発達しない。先日も書いたように、繰り返すことによって脳に刷り込み積分で力を蓄えていく。子供は考えることと動くことを怠るべきでない。もちろん大人も同じである。当然、高齢者も例外ではない。子供の質問にもすぐ答えない方がいいように、高齢者にもすぐに答えを教えず逆質問をするなど対話した方がいい。これは、認知機能を衰えさせないためにも重要である。車で玄関から玄関までという考え方ではなく、少しでも歩かせた方がいい。足の筋肉が衰えると肉体だけでなく認知機能衰えにもつながる。重いものは持ってあげた方がいいが、それほど重そうでない場合は簡単に手を貸さない方がいい時もある。このような習慣が体や認知機能の衰えを少しでも遅らせることになる。もちろん、やさしい言葉をかけることを忘れてはいけない。簡単に手を貸さないイコール冷たくしなさいということではない。 (2021.8.19  続く)

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子供の質問にはすぐ答えてはいけない  8.推論には2パターンある
推論は結論を導くための方法である。推論には、演繹推論と帰納推論の2つのパターンがある。
「犬は動物である」
「動物は死ぬ」
よって「犬は死ぬ」。
このように、いくつかの前提から結論を導出する手法は演繹推論と呼ばれる。特に、「犬は動物である」のように大きな概念の前提と「動物は死ぬ」のように小さな概念の前提から1つの結論を導く論法は三段論法と呼ばれる。これは、古代ギリシャのアリストテレスが対話の中で推論によく使い、基盤を固めていったものである。三段論法では、集合の包含関係を表すベン図で概念の関係を表現すれば、正しいことがわかりやすい。つまり、「犬は動物である」は「全ての犬は動物である」ということであり、犬は動物に完全に包含されその前提で結論が正しいことになる。もし、「ある犬は動物である」という前提であれば完全包含とはならず、結論は正しいとは限らないことになる。  (2021.8.25  続く)

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子供の質問にはすぐ答えてはいけない  9.必ずしも正しいとは限らないのによく使う
もう一つの推論は、
「アンドレイはウォッカが好きである」
「アンドレイはロシア人である」
「ニコライはウォッカが好きである」
「ニコライはロシア人である」
よって「ロシア人はウォッカが好きである」
のように、個別の事例から普遍的結論を導出する手法で、帰納推論と呼ばれる。帰納推論は、この例からもわかるように、個々の前提事例が正しくても、導き出される結論は必ずしも正しいとは限らない。特に、反例を1つでも示されれば結論の主張は困難になる。しかしながら、我々は日常生活において「静岡県人はおだやかだ」「最近の学生は挨拶しない」のように帰納推論をよく使う。必ずしも結論が正しいとは限らないのに、どうして多用するのだろう?それは、すべての事例を調べ上げることは不可能だからであり、結論は一種の近似的な解であるとも言える。言い方を換えれば、サンプリング(標本化)に基づき母集団の特性を推定していることになる。  (2021.9.3  続く)

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子供の質問にはすぐ答えてはいけない  10.人間が考えることを怠っていいのか
「人間は考える葦である」と思想家パスカルは言う。考えるということはどういうことか?例えば、学生に「考えるということはどういうことか?」という質問あるいは課題を出すと、「考えるとは」というワードでネット検索して出てきた情報をカットしてそのままペーストして回答とする者(A)と、「考える」「思考」「熟考」などいくつかのワードで検索し出てきた情報から自分なりの「考える」という概念を組み上げる者(B)、そして、全く検索などせずに「考える」という概念を作り上げる者(C)とがいる。(A)のタイプは、検索にちょっと頭を使う程度で、それ以降はデッドコピーであって考えたことにはならない。(B)と(C)は、前提となる知識が自分の外にあるか中にあるかの違いで、最終的には自分の頭で考えたことになる。このように、「考える」ということは、必要な知識を集め、それら、あるいはそれらから連想される知識などから、推論、さらなる連想、アナロジーなどで解を見つけることである。つまり、あらゆることを知識として身につけていくだけでは、知識の宝庫になるだけであり、思考力は身につかない。知識が断片化して保存されていてもそれは力にならない。自己の内外にある知識の数々をどうやって組み合わせ、人生で突き当たる様々な問題の解決につなげるかというところがその人の思考になる。思考の結果がまた新たな知識となる。このようにして、思考の連続によって脳細胞同士がどんどん結合を繰り返し、新たに様々な記憶となって定着していく。そして、人間の力が作られていく。考えることを積み重ねること、それはとても大事なことなのである。  (2021.9.9 「子供の質問にはすぐ答えてはいけない」終わり)


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元研究者、元大学教員
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