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心に移りゆくよしなしごとを、教育、音声言語、認知科学、環境倫理などの視点から、そこはかとなく書いています
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子供の質問にはすぐ答えてはいけない  1.トークショー
先日、元子役のS木F君がコメンテータとしてTVに出ていた。現在16歳で高校生になったらしいのだが、数年前彼がまだ小学校6年生の時に、立川のあるところでF君トークショーをやっていたことがある。たまたまそこを通りかかって覗いてみたらトークは既に始まっていた。F君はま4、5歳のイメージがあったので、6年生ということでびっくりした。
司会「この夏休みは楽しかったですか? 何かいいことありました?」 
F君「いいことありました。」 
司会「そうですか、どんないいことでした?」 
F君「自由研究で優秀賞をもらいました!」 
司会「え~、そうだったんですか。すごいですね。どんな研究だったんですか?」 
F君「おならの研究です。」 
司会「へ~、おならの研究ですか。何か新しいことがわかったんですか?」 
F君「そうです。おならは燃えることがわかったんです。」 
司会「へ~、すごい。どうやって調べたんですか?」
(2021.7.7  続く)

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子供の質問にはすぐ答えてはいけない  2.研究って調べること?
F君は答えた。「インタネットで調べました」。一瞬耳を疑ったが、確かにそう答えた。あまりの衝撃に途中ながらその場を離れた。インタネットで調べることが研究なんだろうか? インタネットで調べて優秀賞。教員が決める優秀賞の基準を知りたかった。人のやった研究を調べることは、通常、研究の初期に行うことであり、先行研究調査と呼ばれる。あくまでも調査である。研究とは、端的に言ってしまえば、仮説を立てて、その仮説を実験などを通じて検証することである。F君もおならは燃えるという仮説を立てて、それを調査によって検証したのならまだ許せるのだが、どうもそうではなさそうな話の流れであった。仮説も結果もインタネットで調べたのでは、研究もへったくれもない。最近の小中学生の自由研究はほとんどネットによる調査なのだろうか。F君が、小さい頃に一緒に踊っていたA田Mちゃんにその後差をつけられたのもわかるような気がする。  (2021.7.14  続く)

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子供の質問にはすぐ答えてはいけない  3.分かれる反応
F君の自由研究の話を講演会とかセミナーとか授業ですると、聴衆が大人の場合はたいてい興味を持って聴いてくれ、インタネットで調べた内容での優秀賞はおかしいという反応が多い。信じられない、小学校の先生もおかしいと言う声も出る。中には、うちの子もそうそうという人もいる。ところが、大学の1,2年生の授業でこの話をすると、なぜそれがおかしいのかという顔をする。わからないことがあったら調べるには当たりだとの声もあった。大学で講義をしていて、こちらが言ったことや質問に関して、頻繁にスマホアクセスをしている学生が少なからずいる。教員の言ったことが信じられなくて確認しているのか、言葉の意味がわからず調べているのかわからないが、そのこと自体は悪いことではない。ただ、休み時間も食事中も歩行中も電車内でもずっとスマホアクセスしているのはいささか心配である。様々な情報を検索して、それらから理論を組み立てり、自分の仮説を検証するなど、思考をサポートするのであれば問題ない。しかし、朝から晩までずっと検索だけをしていないだろうか。学生の研究発表を聞いていると、調査しましたというのが結構多い。研究の出発点がF君のようなものだったのだろうか。研究の概念が変わってきているのか、まだ未熟で研究ということを知らないのかわからない。前者だとすると、彼らはこれから社会人になってもしかすると大学や企業の研究所に勤めるかもしれない。研究所の仕事はインタネット検索が主流になるという日がくるのかと思うとめまいがする。考えることが二の次になるということがあってもいいのだろうか?   (2021.7.21  続く)

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子供の質問にはすぐ答えてはいけない  4.思考は言葉で行う?
我々の思考は、頭の中で言語によって行われているのだろうか? 例えば、三段論法をはじめ論理的思考は言語によって行われている可能性が高いと思われる。では、乳児はどうなのだろうか? 最近、孫が生まれて、一語が出てきたのは生後1年数か月後である。しかし、それまででも、電灯のリモコンのボタンを押してつけたり消したりしたり、積み木を積み重ねたり、パパにお休みしてと言われると父親にバイバイしたりと、単なる感情表出だけでなく明らかに判断など思考行動をしている。また、言語をもたないカラスが、クルミをくちばしにくわえて車の通る道路に落とし、車が踏みつぶして硬い殻が割れたところを中身だけ拾うという、高度ともいえる知識を使ってさまざまな判断に基づき行動している。つまり、必ずしもすべての思考が言語によって行われているわけではないことも明らかである。人間の成人であっても、例えば、近所のポストに郵便物を投函に行くときには、ほぼ言語的思考によらずに、視覚情報だけで達成できそうだ。歩いていて道に落ちている枝をよけるときにも、言語的思考を行っているとは思いがたい。視覚情報と長期記憶情報との照合である程度行動できる場合が多そうだ。    (2021.7.28  続く)

目次

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子供の質問にはすぐ答えてはいけない  5.言葉を使わないと考えられないこと
積み木を積み重ねる際の思考というのは、視覚的な形状を見て、直方体の上には直方体が乗る、球体の上には直方体は乗らない、などおそらく言語に置き換えなくても、頭の中でやり取りされる視覚情報を手掛かりに判断が可能な場合に限られるであろう。一方、例えば、遅刻したら5点減点とし20点減点になったら減給、無断欠勤は1回で減給など、会社で部下の勤務に関するルールなど抽象的なことを考える場合には、言語なしでは難しいと推測できる。ところで、人間とサルの口の奥を比較すると、サルでは、弁の働きをする喉頭蓋が高い位置にあるのに対し、人間では低い位置にある。このため、サルではのどのスペース容積が小さく音韻を発声することが難しいのに対して、人間の場合、のどのスペースがたっぷりあり、母音をつくるのに都合がよい。この違いにより人間はいくつかの母音を発声することができる。そして、唇や歯、歯茎などでつくられる子音とのどのスペースでつくられる母音を組み合わせて言語をつくり出した。言語を使うことにより、人間は、推論や問題解決などの高度な思考や記録ができるようになり、現在のような文明を築き上げた。言語を使わず、幾何学的な視覚情報だけの思考では、ここまでの高度な文明を作ることはできなかったであろう。   (2021.8.4  続く)

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元研究者、元大学教員
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