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心に移りゆくよしなしごとを、教育、音声言語、認知科学、環境倫理などの視点から、そこはかとなく書いています
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海外カルチャーショック 6.韓国というところ(5)
韓国のS社に出張して懇親会のない日は、仕事を終えた後、観光に連れていってくれる。その日は韓国の民俗村に連れて行ってくれるという。5時ころ、会社から出ようとすると、警備員室で持ち物をチェックされる。それはかなり厳密で、持参したノートパソコンが引っかかった。自分が持って行ったものだが、入るときに警備員室に持参品を全く届けてなかったため、会社から持ち出そうとしていると疑われたのだ。そのため、S社の共同研究先の部署の人たちが次々ときていろいろ言ってくれている。それでも埒があかずに最終的にその部署の偉い人が来て説明してくれてようやく解放された。日本の自分の会社と比較するとセキュリティチェック姿勢に大きな違いがあることにいささか驚いた。(2021.11.24 続く)
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海外カルチャーショック 7.中国というところ(1)
自社の上海オフィスと一緒に仕事をしたことがある。そのため、上海に数回出張した。中国出身の部下Sと行ったのだが、衝撃的だったのは最初に行った食堂だ。その食堂は、宿泊ホテルのすぐ近くにあった。ちょうど昼頃に着いたので、軽く昼食をとろうとしたのだった。まず、入ると「いらっしゃいませ」はない。客は7人くらいだっただろうか。おばさんが忙しそうに働いている。空いている席に座って、メニューを見ながら美味そうな焼きそばに決めた。Sが「注文をお願いします」と中国語で言った。そのとき、おばさんはこちらをにらみつけて何か叫んだ。意味が分からなかったが、Sの通訳によると、「うるさい!」と言っているとのこと。さすがに、これにはびっくりして2人は肩をすくめた。もう来るまいと思ったが、日本の店が愛想よすぎるのだろうか。(2021.12.8 続く)
海外カルチャーショック 8.中国というところ(2)
上海出張の際に宿泊ホテルで、夜テレビを見ていると、一つのチャンネルだけがずっと、抗日ドラマと呼ばれる反日ドラマを放映している。しゃべっている内容はわからないが、明らかに旧日本軍の軍服を着た軍人が最終的には殺される。これを中国の子供たちが見ているのかどうかはわからないが、知らず知らずのうちに反日感情をもってくるのだろうなとか、同じようなことを日本のテレビで放映していたら大問題になるだろうななどと、いろいろ考えてしまう。出張最終日に、空港に行くのにタクシーをホテルで呼んでもらった。玄関に到着したタクシーに名前を言って乗ろうとした時だった。別のタクシーが来て降りてきた運転手が、先のタクシーの運転手に大声で文句を言っている。どうやら客の取り合いをしているようであった。次第にエスカレートして取っ組み合いの大喧嘩になり、ついには、後のタクシーの運転手が先のタクシーの屋根の上のランプを取ってしまった。こちらはあっけにとられていたが、最終的に後のタクシーが勝ったようだった。そして、運転手は何事もなかったように空港に連れて行ってくれたのである。(2021.12.29 続く)
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海外カルチャーショック 9.インドというところ
音声言語関係の学会で発表するためインドに行ったことがある。出張の準備でガイドブックを読んでいると、インドではトイレに紙がないので手を桶の水で濡らしてその手で拭く、ミネラルウォーターを買うときにはフタを開けた痕跡がないことを確認する、カレーなどは手で食べる、などと書かれていて、行く気をそがれる。それでも、発表はエントリーされているので、行かないわけにはいかない。気が乗らないままガンディー空港に着いた。降りた瞬間からインドという雰囲気だ。町は何となく埃っぽい。ホテルに到着し、早速トイレを点検。なんと、質は悪そうだがトイレットペーパーがあった。少し安堵。夜はウェルカムパーティがあるので、荷物だけ置いて会場に向かった。想定通り、食事はカレーだった。カレーといっても日本のものとは全く違い、とにかくゆるい。それでも種類が多く、見ているだけでも面白い。出されたものにはフォークが添えてあって、多くの人はそのフォークを使って食べていたが、現地の大学の先生方は、手でカレーをすくってごはんと一緒に食べていた。発表も無事終わり帰国の日。夜のフライトになってしまったので、思い切ってタージマハルに行くことにした。ちょうどタージマハルまでを往復するタクシーツアーがあったので申し込み、早朝にデリーを出発。高速道路を4時間走るのだが、窓からの光景は驚きの連続であった。まず、びっくりしたのは、高速を牛や馬が走っていたこと。さらにはラクダも。途中渋滞とかで車が止まった。窓の外を見えていると、サルを連れた爺さんがやってきて車の横に座り込み、壺の前で笛を吹き始めた。すると、何とコブラが壺から出てきたのだ。ずっと昔、テレビで見たことがあるが、現代でもそういう芸があったのだ。あっという間にコブラが引っ込むと、金をよこせと言う。最初は知らん顔をしていたが、窓ガラスをたたくので、ルピーの小銭を渡した。すると、タクシーは出発。やっと到着したが、たくさんの人がいるにもかかわらず、タージマハルは見えない。ところが、入場料を払って門をくぐると、そこにはまばゆいばかりの白亜のタージマハルが。その圧倒的な素晴らしさにみんなが声を上げている。これほどの素晴らしい光景はいままでに見たことがない。あっという間に1時間が経ち帰途に。帰り道でまた驚いたのは、高速道路を、サリを着た女性たちや子供が頭に壺を乗せ長い列になって歩いていたのだ。これも不思議な光景であった。 (2022.1.8 続く)
海外カルチャーショック 10.ロシアというところ
多国語通訳システムを開発することになり、ロシア語の音声認識技術を持っているところと共同研究する必要があった。その頃、本社ではロシアとの共同研究を促進する部署があった。それは、米ソ冷戦が終わり、今まで軍事研究をしていた多くのロシアの研究者が次の展開を探し、日本の企業に声をかけていたのだ。当時のロシアは何となく怖いイメージがあり、あまり行きたくはなかったのだが、本社の人も2人ついてきてくれるので心配ないという。
モスクワ空港に到着。アナウンスが全く分からない。職員も客も皆背が高くて何となくの怖さがある。到着した日の午後に、本社の人たちと街を歩いていると、警官らしき人が近づいてきて本社の一人にちょっと来るように合図をして、何か尋問のようなことをした。20分ほどかかっただろうか。彼が戻ってきて、何を聞かれたのかを訪ねると、ロシア語でよくわからなかったらしいが、ロシアではそういうことがよくあるとのこと。何を尋問したのか、なぜ彼だけが選ばれたのかはいまだに謎である。 2日目の行程はモスクワ大学に行ってロシア語音声分析の共同研究の交渉を行うことだった。事前に、先方より一緒に昼食でもいかがですかとの連絡があったので、ボルシチが出るのか、ビーフストロガノフか、あるいはピロシキだろうかと楽しみにして行った。ある教授室で交渉が始まった。次々と下襟の先がピシッと尖ったダブルのスーツを着た教授陣が現れ、名刺交換をし物々しい雰囲気ながらも、条件の提示が始まった。結局、成果物と費用面で結論は出ず、翌日に持ち越しになった。その後、昼食に。大学のレストランにでも行くのかと思ったら、その部屋で食べるという。料理が運ばれてくるのかと思っていると、部屋の片隅に置いてあるパンとペットボトルの水が運ばれきた。パサパサした小さなパンが1人1個を渡され、「スパシーボ(ありがとう)」と答えるのが精いっぱいだった。ところがなんとそのパンにカビが生えていたのだ。それを言うべきかどうか悩んで、結局それを見せたら、指でつまんで取ってくれるのであった。表には見えないロシアの内情を見た気がした。その後、先方の先生がマルコフモデルによる音声認識について学生に講義してくれないかと言う。先方は音声認識を熟知していると思っていたし、そもそもマルコフはロシアの学者に由来するのに、なんか奇妙だなと感じながらも、仲間の日本人がぜひぜひと言うので、つたない英語で、モスクワ大学の1つの教室で講義する羽目になった。なんという想定外。すると、どやどやっと20人くらいの学生が一気に入ってくるのであった。その学生たちの目がランランと輝いていたのが印象的で、これもロシアの一面を見た気がした。 (2022.2.5 「海外カルチャーショック」終わり) 目次 | 最新記事
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