×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
心に移りゆくよしなしごとを、教育、音声言語、認知科学、環境倫理などの視点から、そこはかとなく書いています
| |
海外カルチャーショック 2.韓国というところ(1)
韓国のS社と数年にわたり共同研究をしていた。S社との共同研究では、4から5回ほど韓国を訪問した。韓国語で挨拶ぐらいはできるようしたいと、こんにちは、ありがとうくらいの言い回しだけを覚えて行った。当時の新甫空港に降り立つと、書かれている案内から標識、全てが当たり前ながらハングル文字で、意味はおろか何の情報なのかさえ全くわからない。途方に暮れた。その頃は、漢字も英語表記もほとんどなく、日本語達者な李さんというS社の人の出迎えがあって本当に助かった。車窓から見る市内、店の看板も道路表示や標識、やはりどこを見てもハングル文字でまるでわからない。道路幅がものすごく広く、中央分離帯には簡単なものが置かれているだけ。李さんの説明によれば、韓国は現在も休戦中であり、戦争になったらすぐに中央分離帯を外して道路を滑走路に使うのだと言う。まず、このことにショックを受けた。街中には、若い兵士がたくさん歩いている。徴兵された兵士が休暇で街に出ているという。この光景も日本では見ることがない。運転手には覚えたはずの「こんにちは」「ありがとう」も言えないままホテルに到着。(2021.9.22 続く)
PR コメントを投稿する
<<海外カルチャーショック 1.強烈なカルチャーショックを受けた国 | ブログトップ | 海外カルチャーショック 3.韓国というところ(2)>> | 最新記事
(08/19)
(04/12)
(04/05)
(10/05)
(09/14) P R
カレンダー
|